こんにちは。小田原市橘地域にあります、真壁畳店です。
小田原市橘商工会に支援していただき、熊本産表をメインに申請しまして、「ものづくり補助金」採択されました。
機械の価格、店の規模で考えました。
3月1日(火)に両用機(畳床を切断して、畳縁を縫う機械)、框縫機(畳床を切断して、畳表の幅側を縫う機械)、コンプレッサー等を納品していただきました。
使用した機械が最後なので、パーツクリーナーで綺麗にしました。
自分は、1つの物を大切に長く使用したいですが、機械等は寿命がありますので、しょうがないです。
以前の両用機は、平成10年10月納品(23年5ヵ月)、框縫機は、平成13年3月納品(21年)、大きな故障もなく、今までありがとう(^-^)
機械屋から、当たりの機械でしたねと言われました。
家の親父は、自分が家業を継ぐ事に大反対でした。
自分の中学校、高校の進路相談時に、親父から「自営業だと仕事がないと生活出来ないから、会社に就職して土日休みで、ボーナスがある仕事の方が安定してるから、畳屋を継がなくていい」と何度も説得されました。
(現在でも、仕事がないと生活出来ないです。)
自分は、何度もお願いして頭を下げて、何とか畳屋を継ぐ事を許してもらいました。
親父から、畳屋を継ぐ条件を言われました。
昔からの職人気質でしたから、このような事を言われたのかと、今でも思ってます。
・親子だと甘えがでるから、外に出て修行する事。
途中で、帰って来たら、家の敷居は二度とまたがせない。
親子の縁を切る。
(全寮制の茨城県畳高等職業訓練校に2年お世話になりまして、卒業しました。)
・畳屋を継ぐと決めたなら、投げ出さず一生やり抜く事。
小さい頃から、よく作業場で畳道具で遊んで怒られてました。
小学校1年生の時、親父と一緒にお風呂に入ってましたら、「男だったら、親父を越える男になれ」小さい時から心に秘めた、同じ仕事で親父を越えるようになりたいと思いがあったので、畳屋を継ぎました。
自分に畳屋を継がせるつもりがなかったので、畳機械の設備投資は、小型の持ち運びが出来る縁を縫う機械だけでした。
訓練校から家に帰り、数年間、親子で畳替え仕事しまして、今まで使用してきた両用機と框縫機を導入しました。
今年で、親父が亡くなって10年が経ちます。
自分の事は、二の次にしてよく働いてもらいました。
天国から現在の我が家を眺めて、見守ってて欲しいです。
今後も、熊本産表をPRしまして、向上心を持って、お客様に喜ばれるように精進していきます。
今後とも、宜しくお願い致します。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。